子どもは自然に育つ。幼児期を大人になる準備に使うのはもったいない

子育ての魅力化_幼児期の見守り01 日常生活の魅力化
パパ
パパ

この頃、なんか怜、成長したよね?

ママ
ママ

うん。なんか急におにいちゃんになった感じがする。

最近、よくママとよくこんな会話をすることある。

親バカなのかもしれないけど、ほんとにそう思う。

何かができるようになったとかではないんだけど、成長を感じる。

3歳8ヶ月、試行錯誤の毎日の中で、失敗と反省の繰り返し。

親として何か特別な教育をしたとか、何か特別なオモチャを与えたとか、そういったことはしていない。

日々生活を時間に追われながら、なんとかやってきた感じ。

でも明らかに成長を感じる。

『自然に育っていった』という感覚が強い。

子どもは、自ら成長のタネを拾って育っていく。

今日はパパ目線というより、今の時代の子育てにやりにくさや違和感を感じる理由を少し考えてみた。

何か正解があるわけでもないだろうし、何かを批判したいわけでもなく、ただ個人的に感じたことを書くつもり。

私の独り言くらいの気持ちで読み流してくれたら幸い。

現代は、ママが1から全てを作り上げなきゃいけない

今の時代の子育て環境って、

  • 核家族化
  • 鍵っ子・・・
  • ワンオペ
  • マンション
  • 『知らないオトナについて行っちゃいけないよ』
  • 地域住民どうしの関わりの希薄化

そういった社会的背景のもとで、子育ての全責任がママに降りかかっている。

それでも大切な我が子。

少しでもいい環境で育てたいと思うのは当然だから、

色んなことを調べて、情報を集めて、世間でいいといわれるものはとりあえず試してみて。

加えて、英語ができたら受験に有利だろう、泳げるようになったら小学校で苦労しないだろうと、一生懸命に習い事を探して通わせる。

そうすると、『他の子はできるのに、自分の子はまだできない・・・』と、自然と他の子と比べるようになっちゃう。

他の子ができて、自分の子ができないと、ママとしてやるべきことをやってなかったからなのではという不安が押し寄せ、少しでも安心感を得たいと躍起になる。

『私は、やるべきことをちゃんとやってるんだ』という安心感。

その安心感を買えるのが、『しまじろう』なんだろう。

この月齢で何をしなければいけないかのレールが敷いてくれ、毎月送られてくる教材で遊ぶと『〇〇ができるようになった』という目に見える成果が得られるからだ。

『他の子に後れをとってないぞ』という安心感を得られる。

今の時代のママは、子どもの成長をママ自身の手で作り上げなきゃいけないという強迫観念の中で子育てをしているんじゃないか。

意思疎通もままならない子どもと2人きりの空間で1日を拘束され、

イライラやストレスが溜まる一方で、パパは我関せず。

周りに助けを求めることもできず、解決策をネットで物色。

インスタには、他のママのキラキラしたオシャレな子育て風景。

外に出れば、子どものしつけがなってないと周囲からの冷たい視線に恐縮し、

ぐちゃぐちゃに乱れた髪を恥ずかしいと思うことも許されないかのように、泣きじゃくる我が子を抱きかかえる。

なんで自分だけがこんな惨めな生活なんだろう。

なんで自分だけがこんなに過酷な状況におかれているんだろう。

なんで、なんで・・・。

こんな毎日の繰り返しに救世主のように天から舞い降りた『しまじろう』

そりゃすがりたくなる。

昔は子育てに今ほど神経を使うことはなかったのでは?

子育ての魅力化_幼児期の見守り02

私が、幼少期の頃(35年以上前)は、周りにたくさんのオトナたちがいた。

両親だけでなく、

おじいちゃん・おばあちゃん

近所のおじさん・おばさん

友達のパパ・ママ

親戚のおにいちゃん・おねえちゃん

そして、家には家族だけでなく、色んな大人たちが集まっては、子ども(私)たちの面倒を見てくれたものだ。

幼稚園・小学校の行き帰りや、放課後の外遊びのときなど、近所のおばちゃん、おじちゃんが『行ってらっしゃい!』『おかえり!』『けいちゃん、そろそろ暗くなるから早く帰りなよ』などと声を掛けてくれたのを覚えてる。

あるとき、父親と喧嘩して屋根の上でスネてたことがある。

すると、近所のおじさんに『けいちゃん、お父さんと喧嘩したんだろ!?がんばれよ!』と声を掛けられた。

イヤなところを見られちゃったという恥ずかしさもあったけど、実は屋根の上でひとりで心細かったので、見ていてくれている人がいたんだという安心感もあった。

犬も歩けば棒に当たるくらい、地域の大人たちとはよく顔を合わせる機会があったし、ほんとに可愛がってもらった。

私の場合、両親が共働きだったので、親が四六時中私の面倒をみれなかったっていうことも理由の1つかもしれないけど、実にたくさんの大人に囲まれていた気がする。

親が1から10まで関わらなかった(関われなかった)分、そういった大人たちとの触れ合いの中で、いつの間にか成長していったんだと思う。

そういう環境の下では、

例えば、

  • いつオムツが取れた
  • いつ100まで数えられるようになった
  • いつ『あいうえお』が読めるようになった、書けるようになった
  • いつ箸を使えるようになった

そんなこと誰も気にしてなかったんじゃないか。

放置でも、過干渉でもなく、子どもが自分のペースで成長のタネを拾っていったんだろう。

親がレールを敷かなくても、子どもは自分にとって必要なタネを拾い、必要なことを吸収して、いつの間にか成長していくんだろう。

子ども自身のペースで成長させてもらえない。

子育ての魅力化_幼児期の見守り03

『しまじろう』に限らず、『親としてやるべきことをやった』という安心感を得るためには、子どもが目に見える成長をしてくれると話が早い。

  • トイレができるようになった
  • 文字が読めるようになった
  • 箸を使えるようになった

とか。

何かができるようになると、あれもこれもと、次から次に要求は増えるし、期待も大きくなる。

2本足で立ったことで、あれだけ大人たちから持ち上げられてたのに、その1年後には、挨拶ができないと叱られる。

次から次に、大人からのリクエストがエスカレートし、そのリクエストに応えなきゃ叱られちゃうっていう環境って、子どもにとってどんだけストレスなんだろう。

砂遊びに夢中になってるのに、今から始めないと手遅れになるからと英語の塾に通わせる
絵本が大好きな子に、文字が読めるようにとひらがなを教え込む。

だけど、親が先回りしてレールを敷いたところで、子どもの側にレールを歩く受け皿(意思)がなければ、全く意味がない。

子どもには、子どもなりの成長の段階があるはずだし、それぞれの子の興味や関心も違うんだからやりたいことやりたくないことも当然あるはず。

それを、教育・しつけという名目で押し付けるのはどうだろう?

子どもには、子ども自身のペースで成長するだけのチカラが備わってるはず。

それを一番近くで見守ることこそが、大人の役割なんじゃないか。

幼少期は、大人になるための準備期間じゃない

子育ての魅力化_幼児期の見守り04

幼少期、特に2歳〜3歳頃の時期って『自分の好きなものは何かな?』を一生懸命探してる。

『これ触ってみよう。う〜ん、おもしろくないな』『じゃあ今度はこっちをやってみよう。お!なんか面白そうだぞ!』の繰り返し。

この繰り返しを『飽きっぽい』と捉えるか『好奇心・探究心』と捉えるかによって、子どもへの接し方も変わるんじゃないか。

それこそ、子どもにとって世界は自分の五感で感じることができる範囲が全て。

世の中には、自分の知らない未知のものが無限に広がっているという概念すらない世界。

その限られた世界の中で、自分の好きなものが何かなんてわかりっこない。

興味が次から次に移るなんて当然。

好きじゃないんだもん。

だから、その限られた世界で自分の好きなことをうまく探すことができたら、それこそそれに夢中になる。

その過程を楽しむこと、いってみれば『自分探し』の時期を充実した時間にしてあげることが幼少期の親の役割。

子どもは夢中になって遊んでる時に、一番頭を使うんだそう。

そういう時って、科学者と同じ頭の働きが起きてるんだって。

科学者は『どうしてこうなんだろう?』『きっとこうなんじゃないか?』『よし、やってみよう!』と、課題を見つけて、仮説を立て、実験する。

『なんでボールはコロコロ転がるんだろう?』

『僕が手で叩いたからなんじゃないか?』

『よし、バシバシ叩いてみよう!』

『お!ポンポン跳ねたぞ!?』

『なるほど、叩くと跳ねるんだ!』

とか。

こういう時間って、大人から見たら、何が面白いんだろ?なんて地味な遊びを繰り返してるんだろ?って不思議になるけど、

『ボールの動きを科学してるのか!?』って思ったら、急に子どもの姿が立派に見えてくる。

こういう時間を奪ってまで、しつけなきゃいけない大人のルールなんてあるのか?って思ってしまう。

大人になるための準備なんて、しかるべき時期がくれば自然とやるようになる。

それも、子ども自身が興味を持ってやろうとするはず。

生きてく上で身につけなければならないことは、無理やり教え込まなくてもいつかはできるようになる。

  • ウ◯チをお尻につけたままだと気持ちわるいことなんて、そのうちわかってトイレに行くようになる。
  • 自分の名前を読み書きすることなんて、小学生くらいになれば誰でもできる。
  • 箸が使えなきゃ、フォークでもスプーンでも使って食べればいい。

そのくらい、ドッシリ構えていればいいんじゃないか。

幼少期の大事な時期を、大人になるための準備にあてちゃもったいない!

最後に

子育ての魅力化_幼児期の見守り05

子どもがまだ赤ちゃんの頃は、あれもこれも世話をすることが親の役割だった。

遊ぶときも、親が選んだおもちゃを親が実際に振って鳴らしてみて、転がしてみて、落としてみて、投げてみる。

親が積極的に関わっていくことが必要で、それが親の楽しみの1つだし幸せな時間でもある。

だけど、少しずつ子どもの行動範囲や人間関係も広がると、遊び方が変わってくる。

自分から遊びたいおもちゃを探して引っ張り出し、ひとりで黙々と遊ぶ。

親が積極的に関わらなくても、子どもだけで完結する。

それは子どもの成長の現れでもあるけど、寂しさもある。

親としての役割が『与えること』から『任せて見守ること』にシフトすると、親としてやるべきことをやっていないのではと感じることがあるけど、

そこを我慢して『見守る』ことが親の成長でもあるのかもしれない。

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